兵庫県たつの市の本革を使用したレザーバッグ 革小物 オリジナルブランド 「レリップ」 | D-fly | Presence | ensu | ALIPEDE |

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龍野地方の皮革の歴史

Lelip

 たつの市は兵庫県の南西部に位置し、皮革素材作りは古く、鎌倉時代から伝統産業として培われており、江戸時代後期からは、革鞣しが松原・誉田・沢田地区で盛んに行われていました。

皮造りに大切な3つ要素

天日干しに適した温暖で降水量の少ない瀬戸内気候の土地柄。

一枚の皮を鞣すには3tもの水が必要な為、豊かな水量と穏やかな流れの揖保川と林田川。

原皮の保存や処理に必要な塩を近くの赤穂から入手。

 たつの市は、皮造りに大切な3つの要素に恵まれ、地場産業としての道を長きにわたり歩み続けて現在に至っています。

昭和の初めにクロム鞣し革の技術が入ってきて、中嶋治一が大阪に技術見習いに行き、松原に技師として広め、その後皮革素材の産地として全国一位の生産量を維持しています。

 その松原でレリップ株式会社の共同オーナーである操業55年の中嶋皮革工業所(タンナー)は、皮革素材に対する時代の要求を受け入れ「オンリーone」の素材を造る事を職人集団の誇りとして、原料から吟味された素材造りにこだわり、常設資料室には約300種類の皮革素材を保有しています。

 日本の革造りにプライドを持つ職人(タンナリィー)と、丁寧な縫製にこだわりを持つ職人の一貫生産によりレリップ株式会社の商品は造られています。

 

 

 

各地区でのいわれ

【松原地区】

 昭和31年3月に行われた畜霊祭の祝詞の中で「約400年前の天正時代にへい牛馬の皮をもって太鼓の製造をなし、神社仏閣に納入、さらに当日の武将の命により大和靴(農業用のはきもの)、馬具、太鼓等も製造していた」と言われています。

【誉田地区】

 江戸後期皮鞣しが盛んであったのは、門前(現在の松原)、広山(現在の誉田)であり、寛政から文化中期にかけては鳥取藩内の原皮を仕入れ始めました。文化・文政期はこれら村々の皮革業の全盛期でした。

 天保期に入ると全国諸藩は皮革用原皮に目を付け、専売制をとったり統制を強化し始め、特定人を通じてでなければ原皮は販売されず、これら諸藩の上層まで話のつけられない揖龍の村々は原皮の入手に行き詰まったといいます。

 

 

 

たつのの歴史

 製革業の史料が出てくるのは江戸時代に入ってからで、寛永9年(1632)に和久村の生皮運搬に関するトラブルの記録があります。当時は死牛馬の処理とか死牛馬皮の利用について権利が決められ、場所も定められていました。処理の及ぶ範囲は旦那場とか草場、掃除場、清目場(きよめば)などと称しており、例えば山下・西構・栄・東用・萩原・真砂・河内市場などであった。したがって製革業といっても最初は旦那場単位の死牛馬の処理をこえるものではなかった。しかし18世紀になってくると、原皮を他所から買い入れ、あるいは大坂渡辺村からの馬皮の加工をする形で規模が広まっていったとみられています。

 明治時代以降は、張生地の製造が矢張り中心となっていた。これは姫路白鞣革の製法と基本的にはほとんど同じですが、色相はあまり白くなく、硬目のものでした。張生地は漆を塗って製品に仕上げるものが主体であって、室津や姫路に出荷し、たばこ入れ、下駄向皮(げたのつまかわ)、文箱などになりました。

 

 また生革(きがわ)(ビッカー)も作られた。原料は水牛皮で、主として東南アジアから原皮を輸入し、紡績用や剣道の竹刀の鍔(っば)などに加工された。クロム鞣革の技術は昭和の初めに入ってきたという。当時、中嶋治一が大阪の西山へクロム鞣技術を見習にいき、技師となって瀬戸高矩の工場で共同で研究開発したことが松原に広まり、現在に至っています。

 

 

 

室津の革細工

●たばこ入れ

 腰に下げるたばこ入れは、煙筒(キセル)を入れる筒で止める「腰差したばこ入れ」と、根付で止める「提げたばこ入れ」の2種類に大別できる。室津から出荷されていたたばこ入れは、「サゲ」と呼ばれた叺(かます)だけのものと、「井筒組」と呼ばれた革のついたものが主であった。

 

●革文庫

 文庫は、書籍その他手回り品なども入れる手箱である。木や紙に漆を塗ったものが古くからあったが、室町時代に皮革業の発達により、革を貼ったものが作られるようになった。

 

●向革(爪皮)

 下駄の爪先に掛けて雨水や泥はねを防ぐための覆いで、材料に松原の張生地を多く用いた。江戸末期ごろから世に出はじめ、もとは男子だけが用いた。向皮は関西での呼び名である。その製作工程の簡単さと利益率の良さで、室津では明治・大正・昭和とかけて、その量はたばこ入れを上まわった。

 

●金唐革(きんからがわ)

 革に金属箔(主に銀箔)を張り、模様をプレスした上に彩色をほどこしたもので、ヨーロッパで壁や調度品の装飾に使用した。17世紀ごろからオランダを通じて日本に伝えられ、その金色と特異な意匠のために大いに珍重された。輸入品のうえに高価なこともあって、日本では壁に張られたことはほとんどなく、たばこ入れなどの工芸品に使われた。この金唐革の模造品を室津で造っていたという。しかも光沢は本物以上で、張生地に漆を塗り、その上に金箔をはり、更に漆を塗ったものがその金唐革だという。その材料である張生地は1年間で4,000枚内外扱われたが、その内7分は松原より、他3分を袋尻・広山・沢田より納めていた。

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